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今日はヒトデ祭りだぞ!

主に勢いに任せた雑記

将棋の面白さってなんなんだろう+対戦ゲームとの比較

趣味-将棋 趣味

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将棋にそれなりにハマってしまった
チラっと始めた将棋ですが、非常に楽しい。こんなコマを動かすだけの地味なゲームの癖に、楽しい。なんなんだこれは
 
 

そんな事を考えながら将棋をしていると色々と溢れるモノがあったんで、折角何で文章にして整理してみます
 
 


将棋の何がそんなに良いのか

 
 
「奥深さ」
 
 
これに尽きる。しかし僕が「奥深ーい!」とか言っても既にその発言が浅くない?」ってとこあるので、もっと詳しく書いていこうと思う
 
 
その前に前提としての魅力を書いておく
 
 
 

手軽さ

びっくりするほど手軽。スマホ、PCの登場は非常に大きい
わざわざ駒を、盤を用意せずとも、わざわざ待ち合わせて膝を向かい合わずとも対戦が出来る。友人間との対戦はもちろん、寝っ転がって世界中どんな相手とでも将棋が指せる
 
 
 

平等さ

 
将棋に時の運はない
風が激しかった、太陽の光がまぶしかった、ラグがあった、道具が故障した、野次を飛ばされた。何もしてないのに相手が倒れて反則をとられた。相手の反則を審判が見逃した。審判が誤ったジャッジを下した。審査員が特定の選手を贔屓した
 
そういった不確定な部分で左右される事がほとんどない。外的要因に邪魔されず、ただ純粋に力と力をぶつけあう事が出来る
そこに言い訳の入る余地は無い
 
 
 

本編:将棋の面白さとは

 
 
将棋の底知れぬ感は異常である
 
 
1つの戦法をそれなりに指せるようになった時、僕はそれで無双する
 
ふん、バカめ。我が右四間飛車の前では貴様の矢倉なんぞゴミも当然よ。フフ、そちらは陽動でこっちの角狙いだマヌケェ! ワハハハハ!
 
 
連勝し、階級が上がる。そして、格上と対戦した時、あれほど猛威を奮っていた「右四間飛車」がまるで通用しない。簡単に受けられ、潰され、詰まされる
 
なんなんだ。こんな事があってもいいのか
 
相手の使った戦法は何だ。僕はどうしたらそれに勝てる
なんだそんな事だったのか。よし、お前の狙いはわかった。対策は完璧だ。もう一度対戦だ。


ふん、バカめ。その戦法は知っているぞ。え? そう変化するの? え? 何で? アレ??
 
 
……負けた
 
 
無限とも思われるような選択肢の嵐
 
1つの戦法を指しこなすだけでもあらゆるパターンを想定する必要がある。そして戦法の種類も2つや3つじゃない。それぞれに対応策がある。選択肢が、まさに無限のようにある。こんなゲームが他にあるのだろうか。このゲームには終わりがない。自分が学べば、学んだ分だけ一生強くなれる
 
 
 
僕はこの「将棋」というゲームで、後どれだけ楽しむ事が出来るんだ
 
 
 
そう思わずにはいられない、底知れぬ奥深さこそが将棋の一番の魅力だと僕は思う
 
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ゲームとの比較

 
同じように「気楽にいつでも対戦が出来る」ものとしてテレビゲームがある
対人戦には当たり前ながら「おわり」がない。それはゲームでも同じだ。RPG何かはともかく、対人のゲームは対戦相手が居る限り長い事遊ぶことが出来る
 
 
続けていればある程度「強く」なり、そのうちプロ相手でもなければそれなりの勝負が出来るようになるだろう。誤解のないように断っておくが、僕は対人ゲームの深さをバカにしているわけじゃない。こんな記事もかいている 【初心者向け】格ゲーの本当の面白さとは - 今日はヒトデ祭りだぞ!
 
 
しかし、将棋はそのレベルに至るまでの壁が眩暈を起こす程高いのだ
 
 
そして「ただやるだけ」では成長していかない。もちろん数をこなして「慣れる」のも大切なのだが、「学ぶ事」をしないと将棋は決して強くならない。
 
 
だからそれをモチベーションを保ちながら行うためには、同じくらいの棋力の相手と日々切磋琢磨をする必要がある。しかし同じ相手だと特定の戦術ばかりになってしまう。そういう意味でも、同じくらいの棋力の相手とマッチングしてくれる将棋ウォーズは良いアプリである(回し者じゃないよ!)
 

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また、対戦ゲームには「調整」がある。キャラクターによる力の差をなくすために強化したり弱体化させたり、いわゆるゲームのバランスをとるものだ。大型のアップデートをする事もあり、がらりとキャラクターのスタイルが変化してしまう事もある
 
 
だが将棋にはそれがない
 
 
何故なら既にゲームバランスが完璧だからだ。将棋ver1.01と言って突然飛車が後ろに下がれなく調整されるような事は無い。香車が弱いと言って突然横に動けるようになったりはしない
 
 
そして条件も平等だ。「キャラクターの相性の悪さ」というものも存在しないのだ(戦法の選択による有利不利はあるが、それも自分で組み立てるものだ)
 
 
また、対戦ゲームは結構なスパンで「新作」が出る。過去作の知識や経験をそのまま生かす事が出来るものもあるが、基本的にはシステム事態に手が加えられ、キャラクターの性能も変化する。そのたびに新鮮さを味わう事は出来るが、以前覚えた各キャラクターや武器に対する知識はほとんどが役に立たなくなるだろう
 
 
だが将棋にはそれがない
 
 
突然「将棋2」が発売されて盤のマスが14×14になったりしない。新駒『虎』が追加される事もない。ゲージが溜まったら二回行動出来るシステムも実装されない
 
 
 
つまり僕達の身に着けた知識は、これから先の全ての将棋に活かされるという事だ!
 
 
 
将棋について覚えた事は、将棋を止めない限り死ぬまで無駄にならない。これがゲームと将棋の最大の違いだ。どんな小さなことでも、それは確実に自分の中に詰みあがる
やればやるだけ、間違いなく強くなる。焦る事はない。恐らく死ぬまで「将棋2」は開発されないだろうから。1つずつコツコツと積み重ねていけばいい
 
 
しかし、それにもかかわらず、30年も40年も将棋を指している人達が未だ日々勉強、研究をしているという現状には恐怖すら感じる
 

 

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何故将棋を指している

 
「最善手」というものが存在する
 
それは日々棋士たちが切磋琢磨しながら積み上げてきたものだ。時には過去に学び、時には斬新な一手を試す。そうして「この手にはこう打つ」というが出来あがる
 
平安時代(下手すればもっと前)から、今に至る全ての棋士たちによる努力の結晶。何年も受け継がれ、時代とともにそれを覆すものが現れ、より洗練されていく
 
そう、「最善手」を指し続ければ、絶対負けないではないか
 
あらゆる状況、あらゆる場面での「最善手」は必ずあるはずだ
しかし、それはこの何千何百年という時間、そして科学の力を使ったとしても全てを解明出来ていない
 
 
 
だから、彼等は将棋を指すのだろう
 
 
 
今よりも高みにある、まだ見ぬその一手を指すために
 
 
 
おわりっ