20代男性の主張

幸せって何だ!!!!!!!!!!!

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最近の僕のテーマは主に「幸せ」だ!

別に宗教にハマったとかそういうのじゃねぇ!

幸せとは!!! なんぞや!!!!

幸せって何さ!!

仕事で成功している事か!?

お金がいっぱいある事か!?

打ち込める趣味がある事か!?

夢中になれる何かがある事か!?

時間がいっぱいある事か!?

最愛の人がいる事か!?

その人と添い遂げる事か!?

おいしい食べ物を食べる事か!?

おいしいお菓子があればとりあえず幸せか!?

一般的な幸せは僕にとっても幸せなのか!?

それとも、もしかして生きてるだけで幸せなのか!?

わからん! 全然わからん! だって幸せって終わるもん!!

どっかで絶対終わる!

期間に長い短いはあるだろうけど、一生ずーっと間違いなく続く幸せ何てなくないか!?

そして長い幸せが終わるのって、より一層苦しくないか!?

ポッキー食って幸せーとか言ってっけど、それポッキー食い終わったら終わりじゃん!! 
幸せとはその時々の刹那のものなのか!? いつか絶対終わってしまう幸せは本当に幸せなのか!? 間違いなく終わる幸せって、不幸じゃないか!?

世の中って!! 不条理!!!!

不変で揺ぎ無い永遠の幸せが欲しい!!!!!!

でも、何か、気付いた! 永遠の幸せ! そんなもんは存在しねぇ!!!

でも、だからって幸せで有る事を諦めたら! 俺達は生きていけねえ!!

敵は強い! 社会は強い! 世の中は強い! あまりにも強い! 絶対に勝てない! 必ず負ける!

でも方法はある! 

それは死ぬ事だ!! 死に場所を見つけることだ!!

どんな不幸も不安も不条理も、死んだ人間には追い付けねぇ! 幸せの中で、意思を持って死んだ人間を、不幸にする事は誰にも出来ねぇ!!

でも、それは駄目だ!! 

不条理に勝っても、死んだら意味ねぇ!!
だから、永遠の幸せ何てもんは、考えるだけ無駄なんだ!! 死んじまうぞ!!

今の幸せを追い求めよう! 

まだ生きるんだろ!? なあ! まだ生きるんだろう!?

それなら、「永遠の幸せ」は無いってわかっていても、いつかそのせいで不幸になるとしても、それでも「幸せ」を追い求めるべきだ!! 

いつか終わるとしても、傷つくとしても、辛いとしても、絶対に追い求めるべきだ!!

ほんの小さなモノでも良い。ささやかな、ちょっとした物で良い。そこに幸せを感じる事が出来るなら、それを追い求めれば良い!

このクソみたいな世の中相手に、自分に出来る反抗はそれくらいだ!!!

世の中コラ! 負けねーぞ!!! クソが!!!!!!

おわりっ

POSTED COMMENT

  1. giovannna より:

    こんばんは。
    数年前家族が危篤状態に陥って気づきました。
    家族も自分も健康だったとき、なんて幸せだったんだろうって。全員が元気な時代には、そのことに気づきませんでした。
    健康はそれだけで奇跡です。
    お体を大切に。家族の健康も気遣って差し上げてくださいね。

  2. moon_memory_m より:

    こんばんはm(_ _)m
    今日のヒトデさんのブログを読んで、なんか久しぶりに高村光太郎さんの詩を思い出しました。
    『僕はあなたをおもふたびに
    一ばんぢかに永遠を感じる』
    私も20代前半の時に、恋人に依存して泥沼にハマりました(^^;;
    後半になった今は沼を抜け出し、他人に幸せを求めなくなりました。他人に左右される幸せはあまりに儚いので、先ずは自分ありき、です。
    ヒトデさんも何か答えを見つけられるといいですね(*´ー`*)

  3. るるる より:

    ヒトデさん、ついに悟りを開きはじめたのですね。
    菩薩かと思いましたよ笑
    でも言ってることすごく納得です(^-^)/
    この世に溢れてる幸せを見つけ続けて、自らも幸せを生み出していきたいです(^-^)/

  4. TACOMIC より:

    「幸せの一歩前」云々という詩を思い出しました。
    大昔、『詩とメルヘン』という雑誌で読んだのです。
    曰く、
    「幸せ」というのは、「いつか終わるんじゃないかという不安」と背中合わせである。
    幸せの一歩手前は、幸せを掴もうと手を伸ばして一生懸命。 充実し、それこそ実は「本当に幸せな時」である。
    《「幸せの一歩前」が、「幸せ」より、幸せなんだよな》と。
    ええと、当方は。 空や木々や猫などを見るだけで幸せ、という人種です。
    自ずから、ふと。 ほんのちょっと幸運だったり、綺麗なものを見ると「感謝を」と唱えるようになったのは小学生の頃。
    中学頃?には「世界が美しい事に感謝を」に。
    成人前には「それで幸せになれる人種である事に感謝を。 今、自分がその状態である事に感謝を」を追加してました。長文ですわなこーゆートコも儂。
    外出時、自宅から出て数歩でコレです。 道々、空や雲、木々や花が目に入ってくるともう、うっとりです。 書いてて何か危ないヒトのような気がしてきた。我ながら御目出度いです。
    では、毎回弩長文失礼いたしました。どうかよい人生を。160422

  5. あじこう より:

    俺的な価値観ですが、「幸せ」というのはそこに「そこにあるもの」だと思います。
    例えば今日こうやって酒飲みながら良いブログ記事に出会っていることを「幸せ」と思うから「幸せ」なんだと思います。
    たまにの休日に子供と遊ぶのも「幸せ」。公園でおにぎりを食べるのも「幸せ」。生きているだけで「幸せ」。
    なんといえば良いのでしょう。要は一つ一つ、それを有難いと思って丁寧に噛みしめていくことが大事であって、それ自体がなんぞやということはさして重要ではないような気がします。
    現代社会、世界のまるで9割くらいのことについて簡単に知ることが出来る今です。そして競争社会で育ったが故に、人を羨んだり評価を望んだりすることは多々あります。
    そうじゃなくて、ただ目の前にあること全てをちゃんと受け入れて有難いと噛みしめることが「幸せ」でいるコツなんだと思います。

    追記:TACOMICさんの心中はまるで悟りの境地ですね。感服しました。

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