読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

今日はヒトデ祭りだぞ!

主に勢いに任せた雑記

【12/12まで!】Amazonで超お得なビッグセール開催中!会場こちら!

ブログは好きだけど作文は嫌いでした

ブログのブログ

 

新しい文章力の教室 苦手を得意に変えるナタリー式トレーニング (できるビジネス)


文章書くの大好きーー!

 

ともう3記事に1回くらいの割合で明言している僕ですが、昔からそうかと聞かれるとそうでもなくて、例えば学校で書かされる「作文」は全然好きじゃなかったです。っていうか嫌いでした

夏休みとかに提出しないといけない日記もめんどくさくて仕方ありませんでした

だってね、字汚いから絶対怒られるし、漢字とかめっちゃ間違えて直せって言われるし、「ここはおかしい」とか「こんな事を書くな」とか言われるわけです

これはどういうことかというと、ようは

「書かされる」のは嫌!!

って事みたい
好きに、好きな事を、好きなように書きたいのです

文章を書くのが好き(ただし自分で好きなように書く場合に限る)

なのです

キチンと書いた文章は美しいとか、奇麗な文章への憧れとか、そういうのが無いとは言わないけれど、僕の中での優先順位は低いのです

そういう意味ではこのヒトデ祭りはマジでフェスティバル

まず「。」すらない。いや、今つけたけど、文末にはない。ちなみに別にこだわりがあるわけじゃない。なんとなくだよ
改行も適当。誤字とか超多発(反省はしている)。パソコンだから字の汚さはバレなーい。そんで「マジでフェスティバル」とかいう意味不明な言動も許される。何故なら僕のブログだからである

学校の作文

思うに、学校の作文だの読書感想文って絶対「書くこと」に対するハードルを上げてると思う

マジ必死こいて書いた作文を添削とか言って赤ペンいれられる。そんで漢字ミスとか国語力的なミスならまだ良いけど、内容に修正入るともうげんなり

小学2年生くらいの頃に何かの行事の感想を書いた作文で書いた「びみょうでした」っていう一文を

「こういう事は書かない方がいいよ」

って言われて、再提出になり、何とかして提出するためだけにその一文を

「楽しかったです」

に書き変えた瞬間の

「はーつまんねーーーー」

感は今でも覚えてる。その瞬間、確かに「作文」が嫌いになった

だから僕は塾講師をしたりして多くの生徒の「作文」を見たりしたんだけど(ただ中学生が多かったが)そういう「ありのままの感想」こそが大事だ! ってずーっと教えてた。特に文章を書いたりするのが好きって言う子には! 

学校の先生や親の意見に従って内容を書き変えた文章に何の価値があるのか 

受験科目だったりしたら「テクニック」的な部分が必要になったりしてくるのもわかるが、ただの「作文」何て好きに書いたらいいんだよ! それにこそ価値があるだろ! ましてや子供なんだから「正直な」「自分の感想・意見」を書いた文章こそが評価されるべきだよ!

どっかで見た文章じゃなくて、友達の真似じゃなくて、親や先生が言うように書いたものじゃなくて

自分の中から出て来た言葉を書いた文章

こそが評価されて欲しい!

何か現代教育に物申す! みたいになっちゃったな!?

あ、先生方の苦労は良くわかっているつもりです;; 
いつもお疲れ様です;;;;;;

「書くこと」と「表現すること」

そんでもうちょっと勢いで書くとね、「書くこと」っていうのは自分自身を「表現」する事だと思うんですよ

情報をまとめるような記事はまた別ですけど、自分の中の渦巻いてるモノを何とか言語化して、可視化して、誰にでも見えるような形で打ち出す

そんでそれをブログだったりツイッターだったりに晒しておくと、自分のその「胸の内の何とか言葉にしたもの」が共感されたり、評価されたりするわけです

共感されたらそれはきっと「自分の中で渦巻いたていたモノ」の言語化は成功してるって事です。「それが言いたかったんだよ!」って思ってもらえてるって事です。それってすっげー嬉しい

もちろん批判されたり、反対意見が出てくる事もあるわけです。純粋に「それはないわー」って場合もあれば、自分の「変換」が適切ではなくて、ちゃんと伝える事が出来なかったのかもしれません

もしそうだったら悔しいなぁ、って思う訳です。もっと表現する力、言葉にする力がほしいなぁ、って思う訳です

でもそれ含めて楽しいわけです

たぶん今日のこの記事だって、人によって受け取り方が違う訳です

僕と同じようなものが体の中でグルグルしてた人は「わかるわー!」って言うだろうし、真逆の考えがグルグルしてた人は「ないわー!」って言うと思います

そんで、全然関係ないとしても、僕の変換が下手糞なばっかりに「自分と同じだ!!」って思っちゃう人も「わかるわー!」って言うし、同じように変換が下手糞なばっかりに「真逆だ!!」って思った人は「ないわー!」って言うと思います

今この記事を読んでくださっている読者様がどれに該当するのか知る術はないのですが、共感されるにしても批判されるにしても、前者のように正しく伝わっていれば嬉しいなと思う訳です。1人でも多くの人に、ちゃんと伝わっているといいな、と思います


だから胸の内のよくわからない想いや気持ちや考えみたいなものを言葉に「変換」する力、適しているかわかりませんが、言うならば「表現力」をもっと鍛える事が出来たらな、とそう思います

正直この文章も相当ふわふわしたものです

まさに出て来たものをそのまま打ち出すという作業をしています。予防線を張って申し訳ないんですが、自分の中でがっしり固まってる考えでもないし、矛盾等を孕んでいるかもしれません

それでも、その状態でも表現して発信する事には意味があると思います

きっと、その方が自分の事を良く知れるし、今後成長出来るでしょう

そのために頑張っていきたいと思っています
変換する力、表現する力を鍛える。具体的に何すんの? ってなるけど、それは、まあ、うん。ブログ書く?

別にこの表現力云々というのはブロガーとして~とかライターとして~とかそういうのじゃなくて、ただ個人的に、☆←ヒトデとして、そう思う訳です

そんな感じ!

おわりっ